2018年6月5日火曜日

俺がバイトをバックレて、制服を送り返した時の話

 漫画版「君たちはどう生きるか」の中で、

「そういう苦しみの中でも、一番深く僕たちの心に突き入り、僕たちの目から一番つらい涙をしぼり出すものはーーー自分が取り返しのつかない過ちを犯してしまったという意識だ。」
「自分の行動を振りかえってみて、損得からではなく、道義の心から、「しまった」と考えるほどつらいことは、おそらくほかにはないだろうと思う。」

という一文があり、ふと俺がバイトをバックレた時のことを思い出した。

あれは夏が終わり、木々が紅葉し始めた頃だったーーー


 その日はシフトが入っていた。
まだ入ってから数か月の新人の僕は、店長に自分のシフトを任せていた。
なので、シフトが入る曜日がばらばらだったし、出勤する店舗もその日のシフトごとに異なっていた。

シフトが発表された次の出勤日には、いつもより早く家を出て、スケジュールを確認する必要があった。

そしてその日こそ、スケジュールを確認しなければいけない、面倒な日だった。


 バイト漬けの夏休みを満喫した僕は、店長にシフトを空けたい期間を伝えていた。遅れた休暇を取るために。

そして、その時はやって来る。

 スケジュールを確認すると、なんと空けた期間の分のシフトが前倒しされていた。しわ寄せされていたのだ。


 後々から考えれば、特におかしいことではなかった。
丸々休めると僕が考えていたのは、ただの勘違いだっただけかもしれないし、店長に自分のシフトを任せっきりにしていた僕にも落ち度はある。

それでも当時の僕はパニックになってしまい、少しの間封印してきた「バックレ」癖が、再び目を覚ました。


 その日は、応援勤務が入っていた。
時間にはまだ余裕があり、今から駅へ向かえばまだ間に合う時刻だ。しかし、自転車に乗った僕は、帰路についていた。

 家に帰った僕はまず、後悔をした。
遅刻が確定した訳でもないのに、出勤しなかったことを。
それでもシフトをしわ寄せされたショックは、僕の中でバックレる理由には、充分すぎるものだった。


 次に僕は、もうこのバイトを辞めてしまおうと考えた。
応援先に迷惑をかけ、連絡される店長にも迷惑をかけた後、平然とシフトに出られる勇気はなかった。

 謝ったとしても、その日以降のシフトには当然出勤しなければいけないし、そもそも当時の僕には「謝る」という選択肢がなかった。
何故なら、僕は店長に勝手に裏切られた気持ちになっていて、腸が煮えくり返っていたからだ。

 僕は部屋の隅に積まれたAmazonのダンボールを一つ手に取り、制服に手紙を添えて、自分の店舗へ送り付けた。流石に、着払いにはしなかった。

 
 制服を送り付けたからといって、気分が晴れる訳でもない。ずっと自分の部屋に閉じこもり、携帯の電源も切っていると、母に呼び出された。
どうやら自宅に電話がかかって来たらしく、母が受話器を取ってしまったようだ。
 

 渋々店長からの電話を受け取った僕は、号泣した。
昔から、怒られたり叱られたりすると泣いてしまうタイプだった僕だが、その時は店長が話し出す前に泣いてしまった。

自分のしでかしてしまったことをはっきりとわからされた僕は、泣きながら謝罪をした。

 店長曰く勤務態度も真面目だったので、心配も兼ねて電話をしたとのことだった。
僕の送った「荷物」はもう届いていたらしい。

 店長は、シフトを自由に決めてしまっていた自分にも落ち度があるとして、僕がシフトを自分で決めるようにし、しわ寄せされたシフトは出勤しなくても構わないから、続けてみないか、と提案してきた。

僕は、ただただ頷くことしかできなかった。

 今思えば、あの店長は本当に優しくて、仕事が出来る人間だったな、と思う。
あの店長は、今年の四月に有能な社員を引き連れて、他のエリアへと飛び立ってしまった。


 僕が最近このバイトを辞めたのは、あの店長が居なくなってしまったからかもしれない。
新しい店長は、ピーク時は人に怒鳴り散らす癖に、シフトをギリギリまで削る人だった。

 それに比べてあの店長は、たとえ日曜のピーク時でも人に当たることは全くなかったし、忙しい曜日には、その分シフトを厚くしていた。

 あの店長には、まだ小さな子供がいた。
バックレた時の電話に、子供の泣き声が入っていた。

 僕は店長の優れた人格と能力は、子供が居ることによるものだと思い、真の「大人」になる為には、子育てを経験することが必須だと思い込んでいた。

新しい店長の口から、中学生の娘の話がされるその時までは。

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