2018年8月31日金曜日

成長とは

 今日も、良い意味で言動や行動が同年代と比べて少し大人びている、と褒められた。正直生きていて褒めれられることはそうそうない分悪い気は全くしないのだが、違和感を抱くのは毎度のことである。

 僕は本当に子どもだとつくづく思う。まるで自分の人生を他人事のように舵を切っていて、責任を負うのが大嫌い。都合が悪くなったり決断のリミットが迫れば現実逃避を繰り返す。子どもどころか、まるで赤ちゃんだ。

 他人にはさも自分の事柄かのようにアドバイスをしたり寄り添って思考する、出来る癖に、自分のこととなるとテンで駄目だ。
親には数えきれない程無責任だと言われてきたが、自分でも本当に無責任な人間だと思う。

 そんなことを考えていると、夏の終わりも相まってナーバスになってしまった。そんな僕が現実逃避する場所は、決まって映画館。
 つい昨日宿題に全く手をつけていない弟と遊園地で遊んだばかりなのに、どうしても夏を終わらせたくない僕。最後の抵抗だ。

 鑑賞した作品は、「ブリグズビー・ベア」
25歳の主人公が、実の親ではなく誘拐犯に25年間もの間育てられていた、と知る。
 肉親の元に戻るものの、幽閉されていた彼の唯一の情報源「ブリグズビー・ベア」という教育番組のことをどうしても忘れることが出来ず、うまく家族と馴染めずにいる彼だった。
そんな中、妹とパーティーに参加したことをきっかけに、友人をつくり、やりたいことを見つけ成長していく・・・といったストーリー。
 
 この映画の内容を要約すると、25年間引きこもってたけど、外の世界に出て友達作ればなんとかなるぜ!ってこと。そんな内容とメッセージは陰キャオタクの僕にはあまりにも眩しく、日を浴びたドラキュラのように僕は灰と化した。

 夜の生暖かい渋谷の街を歩いていると、昔塾の先生が退職時にくれたメッセージカードのことをふと思い出した。
 「人は、人と関わっていくことでしか成長できないので、これからもたくさんの人に囲まれて酸いも甘いも色々な経験をして素敵な男性になってね。」
 この一文は定期的にフラッシュバックするのだが、映画の内容とマッチして考えざるを得なくなった。
 
 毎度のことなので、手順は大体決まっている。まずは、
「あの時と比べて成長できているだろうか?」
と考える。答えは半分YES。

 バイトやらで長いものに巻かれるようになったのは、良くも悪くも成長した証なのでは、と考えるからYES+1
 でもただのコミュ障な部分があるのでYes-0.5
 「たくさんの人に囲まれて酸いも甘いも色々な経験をして」後半は色んな意味でYes+1
 「たくさんの人に囲まれて」は満たしていないのでYes-1

 よって、答えは半分YES。

 それにしても本当に的を射た人生の先輩からのメッセージだな、とつくづく思う。
「人は、人と関わっていくことでしか成長できない
これは本当にその通りで、僕自身の課題だな、と思う。

 今日鑑賞した映画の主人公も、友人や周囲の環境を通して成長していき、自分の道を切り開いていた。一人なら、絶対に到達することができない道を。

 僕にも、そんな人生のパートナーが居ればな、と帰りの電車内で考えていた。別に彼女とかじゃなくて、互いに心を許し合える友人・・・いや、僕にも一人だけ居た。それは弟。

 彼女や友人をも凌ぐ究極の関係、弟。彼も僕と同じくメンヘラ傾向があるらしいが、僕がいると気持ちが和らぐそうだ。こんなダメ兄貴でも、心は通じ合っているようだ。

 弟となら、なんだって出来る気がするな・・・そんな暖かな妄想を抱きながら、今日も眠りにつくのだ。

2018年8月27日月曜日

泣き虫な僕

 僕は昔から泣き虫だったなぁ
今日バイト中にふと頭をよぎった。退屈な作業の最中には、そんなどうでも良いことでも暇つぶしになるものだ。

 小学生や中学生の時、先生に怒られると僕は泣いてしまうタイプだった。友人と教室で立たされる中、どれだけ涙腺を踏ん張ってもお漏らししてしまう僕。友人よりも怒られるのには慣れている筈なのに、彼らは指遊びに没頭していた。

 福本作品で一番好きな作品「最強伝説黒沢」の新版一巻では、幼児退行してしまった主人公の黒沢に病院の看護長が
「思考回路は幼児そのものね」と言うシーンがある。
自分の都合が悪くなると、気絶して現実逃避する黒沢。僕にとても似ていると思った。

 赤ん坊は、親にかまってもらう為に泣きじゃくるから、僕もかまって欲しくてたまらないから未だに泣き虫なのか?と考えたが、これはおおむね正解だった。僕の幼少期にヒントがあるようだ。

 僕が今覚えている限りの幼少期の記憶の多くは、両親が喧嘩している描写だ。いつもリビングのガラスのテーブルを挟んで言い合いをしていて、それを止めようと泣きじゃくる僕。僕にかまってくれれば、喧嘩は止むと考えての行動だったが、それで喧嘩が止んだことは一度たりともなかった。
 
 小学三年生の頃だろうか。その日は初めて殴り合いの喧嘩を目にした。少なくとも、僕が記憶している範疇では。
父が会社のTOEICテスト対策で、わざわざ僕のDSで英語ソフトをやりたいそう。当然父とろくに会話ができない、したことがない僕は頷くことしかできなかった。
そのDSは母方の祖父が購入してくれたものなので、母はそれに激怒。父はいつも邪魔をするし、子供のような嫌がらせを繰り返すことは、家では常識だ。

「あいつは良いって言ったけど」
「だからって子供から取り上げるのはおかしいでしょう?あなたは大人なんだから」
「邪魔なんだから出て行けよ」
「返して!DS返しなさいよ!」

僕は階段の下で、
「もう良いから!貸すから!もう止めて!もう良いから・・・」
と叫ぶが、どうやら聞こえていないようだった。その後母は泣きながら警察行くだの出て行くだの言っていて、父はああどうぞ勝手にしろ、出ていくなら出てけ、とお互い一歩も引かなかった。この時も、僕はいくら泣いてもかまってもらえなかった。
今思えば、僕の流した涙はナナリーと同じモノだったのではないか?違う?

 一度、父と母に
「アンタらなんか大っ嫌いだ」
と嘆いたことがあった。すると彼らは
「こんなに優しい親いないよ?」
と口を揃え、父と母が争っていたはずなのに、僕が標的になってしまった。 

結局、母も父に傷つけられることで自分を保っていたのではないか?そうではないにしても、そう考えることもできてしまうからDVのスパイラルはヤバイと感じる。そら、なかなか抜け出せない訳ですわ。僕が将来結婚をするならば、顔や金ではなく、人格の相性で決めようと誓ったあの日が懐かしい。

 僕はただ、喧嘩を止めて欲しかっただけだったんだ。そんな泣き虫のルーツを知った僕は、バイト中にも関わらずまた泣いてしまいそうになったが、流石にもう我慢できる。普段は全く意識しないけれど、記憶の底にしっかりと沈んでいることが悲しい。

 僕を注意する上司をその場で店長が叱り、気まずくなって退散した僕を上司が苦笑いを浮かべながら叱り、ああ、もうみんな死ねばいいのにと思った今日でした。もうこんなバイト辞めてしまいたい。

2018年8月20日月曜日

掃き溜め

 NNNドキュメントで「吉藤オリィ」氏が特集されていた。彼は元ひきこもりだったが、高校時のロボット大会での優勝をきっかけに学校に通い始め、現在は孤独を解消するための研究をしているそうな。リンク

 正直嫉妬した。彼はVTRを観る限りとてつもない人格者で、輝かしい功績もあり、社会にとって大いに貢献している。
「元」ひきこもりや不登校でメディアに取り上げられている人物は大抵何か第三者から認められているものがあって、しかもコンクール等の正式な賞を受賞していたりもする。

 それに比べて僕には特に第三者から認められているものや功績は特になにもない。
小説や脚本の進行は未だ0%で、ただ映画鑑賞とハースストーンで現実逃避を繰り返すだけの日々。頭ではアイデアがいくつも描けていても、体が動いてこない。
別に努力をしたくない訳ではなく、努力したくても一向に体が追いついてこないのだ。

いわゆる「成功者」は、行動を起こして、それから生じるトライ&エラーによって一歩ずつ前進して行く。
僕はその一歩すら踏み出せず、やりたくもないアルバイトに精を出している。
今回は、そんな自己否定に走った僕の掃き溜めのブログ。

 「学校に行かないから、勉強もできないし、運動もできないし、友だちもいなくなる。すると「自分はダメなやつだ」と自己否定が始まってしまう。それがつらかったというのが強くあって。」
この一文から、オリィ氏がガチの元ひきこもりであったことがわかる。今の僕自身が、そうだから。
「俺は現在進行形だから・・・」という言い訳で逃げられなくもないが、脱出方法はみつからない。

 僕は人生を生きているだけで100点スタートの加点方式だと考えているが、それでも自分より高い点数の人はいるわけで。スタート地点がマイナスでも、自分より点数が高く這い上がっている人も大勢いるわけで。そして自己否定に入ってこの繰り返し・・・たまには嫉妬もするよね。行動力とかに。
僕はのけ者かもしれないが、他人となんら変わらず人から認められたいとも思うし、嫉妬だってすると気がつかされたNNNドキュメントだった。

 個性を尊重することが最近の流行りだと感じるが、そもそも個性とはなにか?
SNSはただのいいね稼ぎのゲームに過ぎず、個が認められた気になることができるだけで、そもそも個性なんてものは誰にもないのでは?と。
少しばかり考え方や感じ方が違っているだけで、本質的にはなんら変わらない。その筈なのに、僕には同じように一歩を踏み出すことが出来ない。これも、皆同じだったりするのかな?

 そんな自己否定に陥りがちな僕の原因を発見した。それは、自己否定に陥る時は決まって実家に居ることだ。
本当に帰宅した瞬間に気持ちが落ち込むこの実家は、どうやら井戸があったかもしれない?土地らしい。母曰く数人の人に見てもらったが、マジで離れた方がいいそう。オカルトはあまり信じない方だが、気分が落ち込むことは確かだ。
・・・割りの良いバイト探すか、就職でもしてまず実家を出ることが、今の僕がすべき一番初めのことなのかな、と考えた今日この頃。路上で寝た方が寝心地が良いレベルに埃が積もっているので、片道切符で海外に行くのも楽しそう。のたれ死んだら、その時はその時で。

 僕は電子の海にただよう海月。ただ波にさらわれ、漂うだけの毎日・・・跡形もなく、海に溺れて消えてしまいたい。
数か月前に興味を持った海月の飼育を、貯金をまた10万貯めたら始めようと思い立った今日でした。

2018年8月15日水曜日

エロ同人誌と映画から学ぶ「罪悪感」

 今回は夏コミケで購入した天才LO作家猫男爵先生の新刊「雨音を数えるように」と、最近視聴した映画「グラントリノ」の共通テーマが「罪悪感」についてだったので、ここで考察する。

 猫男爵先生の新刊では、艦隊時雨(実は艦これ知らない)が提督と結婚するが、時雨は亡くした艦隊の仲間のことがいつも心残りで、自分だけ幸せになってもいいものかと葛藤する心情が描かれている。
あとがきによると、この物語の元々の着想は「夕凪の街 桜の国」という漫画らしい。

その漫画はどうやら今までの「ヒロシマ」「原爆」物語で語られてきた主人公の根底にある「怒り」はなく、「生き残った罪悪感」しかないそうだ。

 映画「グラントリノ」では、主人公のウォルトの過去に朝鮮戦争で誰に命令された訳でもないのに、降伏したも同然の兵士を何人も自分の手で殺した罪悪感との葛藤が描かれている。

 この時期になるとテレビで流れるジャンボ機123号の特集や新刊、そして特に意識して視聴した訳ではないグラントリノと、何故か罪悪感について考えさせられるテーマが目に留まる。
ここで問題なのは、罪悪感は「生きる気力を奪う」、ということ。
「怒り」のマイナスエネルギーの矛先には基本的に相手がいるので生きる力になるが、「罪悪感」では償う相手もいない
ので、自分自身の気力を蝕んでいく。

 僕は陰キャなので怒りの矛先を相手に向ける勇気がなから、怒り→自己嫌悪→罪悪感に走りやすい。
ただ、命を奪う・奪われる罪悪感と僕の中での罪悪感ではスケールが違いすぎるし味わったこともないので、今の僕にはまだよくわからない。

 自分なりに「罪悪感」について深く考えようと試みたが、そもそも僕は嫌な出来事はすぐに忘れるタイプなので、正直引き出しから何も見つからなかった。強いて言うならば、僕が以前バイトをバックレた時だろうか。(俺がバイトをバックレて、制服を送り返した時の話)
ただ、罪悪感は常に心の根底に居座り続け、それが強ければ強い程忘れたくとも忘れられないという部分は、少しだけ理解できたような気がした。ふとした瞬間にフラッシュバックするというか。

 しかし僕がうつ傾向というか、月に一度バミューダトライアングルに心が飲み込まれてしまうのは確かで、しかも特にこれといった原因が自分の中で見いだせないので、マジでうつ病なのでは?と考える今日この頃。今にも溶けてしまそうな猛暑の中、皆さんはいかがお過ごしですか?

 結局何を伝えたかったかというと、猫男爵先生の新刊「雨音を数えるように」が素晴らしいってことと、俳優人生最後の出演作「グラントリノ」のイーストウッドの演技が神がかっていたということです。僕からの暑中見舞いでした。

2018年8月4日土曜日

永い言い訳

 前々回のブログで僕は「人生は妥協の連続だ」と書き綴ったが、それは単なる自分への言い訳でしかないことが今日判明した。裏を返せば、今の今までそう信じ続けていたことになる。

 何故そう考え方が変化したか。それは、「頑張っている人」を応援する人が大勢いることにヒントを得たからだ。

もちろん誰しも自分なりに頑張っているが、ここでは世間で「頑張っている人」として一目置かれている人のことを指す。

 僕もその内の一人だが、するべきこと・やりたいことをいくつも頭に描いているのに、行動に移すことができない。最初の一歩が踏み出せない。

 僕の場合だと、小学三年生の夏休みがいい例だ。
近所に小さな河川があるのだが、凹字型にブロックが積まれており、その間を流れる川を尻目に向こう岸まで跳ぶという遊びをしていた。ブロックと川の高低差は、ざっと7,80cmといったところか。
向こう岸までは1メートルと数センチ程の距離があり、僕はというと一度も跳んだことがない。川に落ちることすらなかった。

ただ跳べないだけなら痛くも痒くもないが、鬼ごっこになると川を飛び越えられないと話にならない。そんな僕は、橋の方まで走り続けていた。
 
 何故僕は川を跳び越えることができなかったのか。理由は単純明快で、怖いからだ。
怖気づく僕に友人は幅跳びの練習に付き合ってくれたが、川を前にすると足がすくんで動かなかった。

 「石橋を叩いて渡る」ということわざがあるが、あれは教訓ではなくただの僕への皮肉だ。川を飛び越えた友人と、跳びすらしなかった僕の違いは、目線がどこに向いていたかだと僕は考える。
彼らは常に向こう岸の土の壁を見据えていて、僕は足元の流れる川に潜む無数の瓦礫や石に夢中だった。

 そんな僕が捉えるのは、今でも足元ばかり。よく言えば慎重、悪く言えば臆病。
もちろん悪いことばかりではないが、自分がここまで言い訳に精通している人間だとは思ってもみなかった。

 ヒトは、自分を第三者、TPS視点で自分自身を客観的に眺めることができる唯一の動物らしい。
「メタ認知」と呼ばれるそれは、古代から伝わる本能で、どうやら熊やら虎から身を護る為に発達していったらしい。

それが故に、人間は誰しも言いようのない不安を感じてしまう。他の動物ならば、本能のままに獲物を捕らえるので、自分を客観視することはまずない。

 そんな「メタ認知」の恐怖が行く手を遮る中、一歩踏み出した者が世間で言う「頑張っている人」なのかもしれない。それなら、応援されるのも納得ができる。自分が立ち入ることのできない道を、彼らは恐怖をもろともせず歩いてゆく。

 「人生は妥協の連続」
半分は間違っていて、もう半分は正しい。ただ自分でブレーキを踏んでいるだけなので、アクセルを踏めば誰でも前に進むことが出来る。最初から決めつけてしまっているのは、いつも自分自身だ。

 いつの日か、胸を張って「間違っている」と断言できたのならば、僕は生きていて良かったと実感できるだろう。
そんな未来の僕に永い言い訳を託しながら、今日も睡眠を貪るとしよう。僕は一体・・・

2018年7月23日月曜日

バイト中にガラス片で薬指を切り、流血した話

 連日の猛暑のせいか、胸焼けのような痛みが纏わりついている昨今。深呼吸をしても痛みは治まらず、埃やダニを掃うにも私が倒れるのが先だろう。皆さんは、いかがお過ごしですか?

 最近始めたスーパーの品出しバイト。いつものように自転車を走らせ、タイムカードを切り、荷台を動かすだけの簡単なバイトだ。退屈ではあるが、以前の飲食とは違い自分のペースを乱されないことについては、本当に気が楽だ。

 それは夕礼が終わり、飲料を棚に陳列していた時のことだった。社員が慌ただしく僕を呼び、裏へついてこいとのこと。この社員は顔がスケートの羽生結弦を目元を暗くしてサイコチックにした顔なので、「陰生」と呼ぶことにする。

 「ガラス片付けて来て」
陰生は僕にビニール袋とペーパータオルの束を渡し、そう言った。どうやらレジを過ぎた辺りでガラスが割れたらしい。品出しとは雑用係のようなもので、店内のポップの張り出し等、しばし関係のないこともこなさなければならない。

 嫌な予感はしていた。陰生は僕にペーパータオルを渡す時、確かに左手にボロ雑巾のように黒ずんだ軍手を一組持っていた。僕はてっきりそれを使い処理するのだと考えていたのだが、彼は「気をつけてね」と一言残し、走り去ってしまった。

 渋々現場へ急行する僕。酒かなにかの瓶が割れているのかと思いきや、破片はそこまで散らばってはいなかったが、何故か生臭い空気が漂っていて、倉庫の発砲スチロール置き場と同じ臭いがした。魚の臭いが、一番厄介なのだ。

 現場には、すでに二人が到着していた。品出し部門のチーフと、パートのおばちゃん。
チーフはジャンプのレジェンド葛西や今年のワールドカップ日本代表の監督、西野に似ていてイケメン。常に笑顔を浮かべる彼の裏には、休憩室で灯した吸い殻の炎が絶えないので「ヤニ西野」と呼ぶことにする。

 ヤニ西野は僕からペーパータオルを取り上げると、濡れた床を拭き始めた。どうやら生臭い原因はこのタイルに溢れた液体にあるようで、本当に便所掃除をさせられているかのよう。それにしてもビニール袋とペーパータオルだけでガラス片をどうやって片付けるのか、お手本を陰生に是非ご披露して頂きたいものだ。

 薬指の表面を切り裂き、腹を抉り侵入してくる何か。
ヤニ西野が「そんなに強く拭かなくても---」と呟くも、時すでに遅し。
どうやらペーパータオルをガラス片が貫通し、僕の指を突き刺したようだ。零れ滴る血と共に、背中から冷や汗が滝のように溢れ出てくる。思ったより深く侵入されていたようで、出血の量も人生に今までにない位多量だった。

 「もういいよ、手洗って絆創膏貼って」
ヤニ葛西は僕にそう告げ、床に滴る血を拭き取る。
バックヤードに撤収しようと顔を上げた僕の目に、おばちゃんが映り込む。・・・え?
おばちゃんは、箒と塵取りを持っていた。いやいや、おかしいだろと。冷静に考えれば僕にも非はあるのだが、どう考えても素手でガラスを処理するヤニ葛西はおかしいし、それを見越していた陰生もおかしい。おばちゃんも、まず箒で大きなガラスを取り除いてから、床を拭く作業に入らせるべきだ。そこは例えチーフが相手でも、止めるべきだろう、と。

 完全に僕は邪魔者で、流した血は無駄になった訳だが、仕方がないのでバックヤードのトイレへ退散することにした。
指を洗い、トイレのペーパータオルとセロテープで即席絆創膏を作っていると、ヤニ葛西が絆創膏を一枚持って現れた。どうやら売り場から取ってきたらしい。
心配の言葉を投げかけ、絆創膏を剥がすヤニ葛西。
強めに薬指を締め付けるようにして、業務に戻る僕。

 少し話が脱線するが、リストカットする人の気持ちが少しわかったかもしれない。ガラス片が侵入してきた瞬間は痛みがなく、ゼリーや海老を歯で押し潰す感覚の逆というか、非日常の違和感がそこにはあった。快感とは程遠いものだったが、非日常が味わえたのは確かだった。

 後から来るタイプの激痛に、思わず今にも泣きだしそうな顔をする僕。ポテチを陳列する僕に、ねぎらいの声はおろか目を向ける者は誰一人としていなかった。

 バックヤードに戻る途中、事の発端である陰生が話しかけてきた。どうやらヤニ葛西から僕が指を切ったことを聞いたらしい。
「大丈夫?だからあれほど言ったのに

ぶっ殺すぞ
僕の脳では反射的にその一言が選出されたが、声に出せる訳がない。口にできていたら、どんなに楽なことか。
そんな僕は少し頷いた後、逃げるように荷台と共にバックヤードへ駆け込んだ。

 あの生臭さが染みついた指先を洗い、お目当ての陳列棚を探しているとそこにはヤニ葛西が。
「大丈夫?無理しないでいいからね、ごめんね」
いつものヤニで固めた笑顔と共に、僕を励ますヤニ葛西。
ここであぁ、やっぱり人は顔が9割なのかもしれないな、と思った。

 以前から陰生には悪い印象しかなかった。因みに彼もなかなかのスモーカーである。上司の前で意気揚々と僕に仕事を教えている姿をアピールし、教育上手をひけらかす陰生。
口調も普段は「いや、それはありえないでしょ」「馬鹿か?」「遅いぞどうした?」と高圧的なのに対し、その場限りで標準語に戻る。DV夫ってこんな感じなのか?と考えたりもしていた。

 傷の具合からは想像できない痛さに苛まれ、今にも泣き出しそうな顔を浮かべながら、顔と性格の関係性について考えていた。
ヤニ葛西の笑顔は煙で膨れた頬で作られてはいるが、笑顔に変わりはない。彼は人に頼み事をする際に、必ず最後にニコッと微笑む。あぁ、人の上に立つ職業には、なんだかんだ人格が伴わないとやっていけないんだな、と考えた。何故なら、陰生は平で、ヤニ葛西はチーフだからだ。

 ところで、どのバイトでも基本店長が口うるさく細かいのは仕事柄仕方ないのか、それとも偶然なのか。エリアマネージャー等、細かく指摘する役職があると思うと、世の中はとても面倒で厄介な仕事で溢れているのか、と考えてしまう。

 最近、僕は自分のことをトム・クルーズだと思い込むようにしている。傍から見ればただのヤバイ奴だが、実際に効果があるのだから驚く。なにがあっても
「トムならこんなことで逃げ出すか?」
「俺はトップガンのトムだ。超絶イケメンだから俺のがカッコイイし強い」
「でも俺はトムだから楽勝さ」
と、ポジティブの化身と化すことができる。
自己肯定感やらメンタリストやら依存症やらの本を読んで
実践したどのことよりも遥かに楽で、効果がすぐに出た。

 内面的な効果だけではない。
何故か陽キャの女子にまつ毛が長くて可愛いと気にいられ、ユニクロのチュッパチャップスTシャツを褒められ、LINEの交換を誘われた。クソ陰キャの僕でも、女友達位は作れるようになったのだ!

 別にトム・クルーズでなくとも、各々の心に寄り添うヒーローは自分自身だ、と思い込めば、少しはポジティブになることが出来るかもしれない。ただし、殺されたジョン・レノンのように自分が本物だと錯覚してしまうケースもあるので、ほどほどにした方が良いのかもしれない。

 僕も将来は子供のみならず、誰かの心に寄り添い、思い込まれるような、そんなヒーローのような人間に成長したいと胸に刻んだ今日この頃。アメリカのヒーロー文化にもう少し深く飛び込んでみたら面白そうだな、と夢見る僕でした。

2018年7月10日火曜日

優しい嘘

 僕は嘘つきだ。弟からは、嘘をつくのが上手いと褒められるが、僕は顔に出てしまうタイプなので、嘘をつく時には「話の筋に合わせる」ことを意識している。
例え不利な状況になっても、一度受け入れ流れに乗り、話のペースを乱さず、相手を信用させる。

 僕は今日もまた一つ、嘘をついた。
弟は、現在ゲーム機器の使用を母によって禁止されている。
理由は「勉強をしないから」だそうだ。
正直、僕の過去の経験からしてもゲームを取り上げたところで勉強時間は延びないが、母は聞く耳を持たない。

 弟は、自分で新たにゲーム機を購入し、自室で母に怯えながらマリオカート7と太鼓の達人を貪る毎日。学校には真面目に毎日通っているので、僕の時とは幾分かマシなのだが、その分母の見当違いな期待の餌食になっているのかもしれない。

 そんな申し訳なさもあってか、僕は度々嘘で弟を庇っている。ゲーム機を僕が弟に貸していると問い詰められた時は、弟が勝手に持って行ったことにしてDSを僕が回収&リリース。そんなことが何度か続き、その都度僕は弟を庇った。時には、僕が全面的に悪者になることもあった。

 正直、全く事実無根のことで悪者にしたてあげられるのは、たまったもんじゃない。僕のメンタルもそう丈夫ではないし、疲れていた。そんなまた嘘をついたある日のこと。
弟は僕に
「お前にはいつも申し訳ないし」
と、渋々現実を受け入れ、また新たにDSを購入しようか検討していることを伝えた。

 寝落ちでどうせバレてキリがないからやめとけ、と納得させるも、僕は少し嬉しかった。
少なからず、弟が「申し訳ない」という罪悪感を抱いていたことが。

 僕が弟を庇うのは、根本的な解決ではなく、一時的な気休め程度にしかならないが、それでも妥協するしかないのが現状だ。

 僕はその日、弟と夕飯のマックを食べた帰り道、自転車で並走しながら話していた。
「俺、そろそろ家出たいわ。やってらんねえよな」
「じゃあ俺が家出る時に、一緒に出ようよ。じゃないとこええ」
「あと3.4年はかかるじゃん。正直きついわ。」
「・・・」
「じゃあ、お前と俺がろくでもなくなったら、一緒に住もう。お前は大学にでも行ったつもりで、俺と芸人でもやろうぜ。」
「一緒に住むのはいいけど、芸人はやだよ」
「じゃあバンドでもやるか?お前ピアノやってんじゃん」
「なら芸人のがマシだよ」

 正直、一秒でも早くこの家を出たいと思っているが、弟が本当に心配だ。弟が親を殺す可能性も考えられなくはないし、その逆もありうる。そこまで過剰にならなくとも、母のストレスの矛先が弟に集中するのは目に見えている。

 最近、自分がどうすればいいのかがわからない。
自分勝手に生きてもいいが、弟とは仲が良いので、見捨てたくはない。一緒に住むにしても、弟がバイトできる年齢に達するまでは、少なくともあと三年はかかる。僕も収入が十分にある訳ではない。

 人生は、妥協の連続。
それにしても妥協点が、あまりにも低すぎるよ・・・

2018年6月26日火曜日

心が折れそうな時は、映画「きっと、うまくいく」を観ましょう。

 最近の僕の心は、曇り空だった。逃げ続けていたツケが、ついに回ってきてしまったのだ。

 すしざんまいでまぐろざんまいを食べながらも、僕は涙が止まらなかった。トイレの個室に退散するや否や、理性のタガが外れ、号泣してしまった。
惨めな僕を、少しでも慰めようと気を使い、すしざんまいへ連れて行ってくれた母。。。やるせない気持ちは全て自分のせいなので、本当に消えてしまおうかと考えていた。

 そんな僕が、電子ドラッグにすがる思いで視聴したのが映画「きっと、うまくいく」
いかにもカルトチックなタイトルなので、前々から気になりつつも避けていたが、実際は素晴らしい内容でした。映画で泣いたことの無かった僕が、5、6回は号泣する程に。
そもそも、原題が「3idiots」(3バカ)なので、視聴する前からタイトル切りしてしまった人は多いだろう。翻訳に疑問を抱いた。

 本作のキーワード「All izz well」は、邦題だと「うまくいく」と訳されているが、これだと未来を信じろといったニュアンスになってしまう。
本来のメッセージとしては、どちらかと言うと現状肯定のニュアンスが強く、現状の自分を納得させる為に使われている。
この訳に違和感を感じたのは私だけではないようで、少し調べてみると、「これでいいのだ」が一番しっくりきた。アナ雪の「ありのままの〜」も近いかもしれない。

  正直、本当に面白い映画なので、内容になるべく差し支えのないように紹介しようと思う。0から見た方が面白いからね。
この映画の1番の魅力は、「生きているだけで100点」だと実感出来る所。本作はインド映画ということもあってか、メッセージ性に強い説得力がある。

 主人公のランチョーら3バカは、ICEことインドNo1の工科大学生。毎年40万人から選び抜かれた200人が通り抜ける狭き門であるが故に、入学してからも試験に追われ続ける学生達。酒や祈りに浸る中、ランチョーは胸に手を当て「All izz well」と唱える。
彼曰く、人の心はとても臆病だ。だから、麻痺させているとのこと。
ルームメイトは馬鹿にし、「それで困難が解決するのか?」と問うも、ランチョーは
「困難を無視出来る」「将来は、誰にもわからない」とのこと。

 本作のメッセージには、妙な説得力がある。流石仏教の聖地インド。他にもインドの教育システムであったり、学生の自殺にも切り込んでいて、見所は数え切れない。

 僕が一番心を動かされたのが、ランチョーの圧力で自殺するのは殺人だ、という考え。
僕は、生きているだけで100点で、それからの加点方式という考えで生きてきたが、現実はそう優しいものではない。そんな中、ランチョーだけが僕の心の友として、寄り添ってくれる。
映画がここまで人の心を動かすことが出来るのか、と映画の可能性を感じた。間違いなく生涯の10本に入るし、一生の友が現れた。

 インド映画には必須のダンスシーンも、絶妙なタイミングで踊りだし、歌も踊りも素晴らしい。
時系列が前後するタイプの映画なのだが、差し替え方が上手すぎる。脚本が練られていて本当に素晴らしい。

 人間、誰しも生きていると必ず壁に当たるだろう。そんな時は、「きっと、うまくいく」を視聴してみて欲しい。ランチョーと共に、All izz wellと唱えれば、今を生きることが出来るし、明日を生きることだって出来る。
自殺対策にもってこいの映画だと思う。本当に素晴らしい映画なので、是非落ち込んだ時には視聴してみて欲しい。今なら、Amazonプライムで無料で視聴できます。

2018年6月9日土曜日

心の靄

いつからだろう 心に靄が張り詰めたのは

目を閉じれば、雨音すら聞こえてくる

明けない夜はないが、晴れない靄はない

横になれば、僕を取り巻くピアノの音色

丑三つ時になると鳴り響く、僕のアラーム

僕を取り巻くその音色は、確かに共鳴している

取り憑かれた僕は、ただ嗜むばかりで


それは引き寄せられた磁石のよう

エクソシストでもない限り、切り離せないだろう

今も変わらず鳴り響くその音色は

僕が奏でているだけかもしれない

鳥のさえずりと共に、眠りにつく

鳩と迎える朝は、心地が良い

君の横顔が見れないのは、残念だけどね

2018年6月5日火曜日

俺がバイトをバックレて、制服を送り返した時の話

 漫画版「君たちはどう生きるか」の中で、

「そういう苦しみの中でも、一番深く僕たちの心に突き入り、僕たちの目から一番つらい涙をしぼり出すものはーーー自分が取り返しのつかない過ちを犯してしまったという意識だ。」
「自分の行動を振りかえってみて、損得からではなく、道義の心から、「しまった」と考えるほどつらいことは、おそらくほかにはないだろうと思う。」

という一文があり、ふと俺がバイトをバックレた時のことを思い出した。

あれは夏が終わり、木々が紅葉し始めた頃だったーーー


 その日はシフトが入っていた。
まだ入ってから数か月の新人の僕は、店長に自分のシフトを任せていた。
なので、シフトが入る曜日がばらばらだったし、出勤する店舗もその日のシフトごとに異なっていた。

シフトが発表された次の出勤日には、いつもより早く家を出て、スケジュールを確認する必要があった。

そしてその日こそ、スケジュールを確認しなければいけない、面倒な日だった。


 バイト漬けの夏休みを満喫した僕は、店長にシフトを空けたい期間を伝えていた。遅れた休暇を取るために。

そして、その時はやって来る。

 スケジュールを確認すると、なんと空けた期間の分のシフトが前倒しされていた。しわ寄せされていたのだ。


 後々から考えれば、特におかしいことではなかった。
丸々休めると僕が考えていたのは、ただの勘違いだっただけかもしれないし、店長に自分のシフトを任せっきりにしていた僕にも落ち度はある。

それでも当時の僕はパニックになってしまい、少しの間封印してきた「バックレ」癖が、再び目を覚ました。


 その日は、応援勤務が入っていた。
時間にはまだ余裕があり、今から駅へ向かえばまだ間に合う時刻だ。しかし、自転車に乗った僕は、帰路についていた。

 家に帰った僕はまず、後悔をした。
遅刻が確定した訳でもないのに、出勤しなかったことを。
それでもシフトをしわ寄せされたショックは、僕の中でバックレる理由には、充分すぎるものだった。


 次に僕は、もうこのバイトを辞めてしまおうと考えた。
応援先に迷惑をかけ、連絡される店長にも迷惑をかけた後、平然とシフトに出られる勇気はなかった。

 謝ったとしても、その日以降のシフトには当然出勤しなければいけないし、そもそも当時の僕には「謝る」という選択肢がなかった。
何故なら、僕は店長に勝手に裏切られた気持ちになっていて、腸が煮えくり返っていたからだ。

 僕は部屋の隅に積まれたAmazonのダンボールを一つ手に取り、制服に手紙を添えて、自分の店舗へ送り付けた。流石に、着払いにはしなかった。

 
 制服を送り付けたからといって、気分が晴れる訳でもない。ずっと自分の部屋に閉じこもり、携帯の電源も切っていると、母に呼び出された。
どうやら自宅に電話がかかって来たらしく、母が受話器を取ってしまったようだ。
 

 渋々店長からの電話を受け取った僕は、号泣した。
昔から、怒られたり叱られたりすると泣いてしまうタイプだった僕だが、その時は店長が話し出す前に泣いてしまった。

自分のしでかしてしまったことをはっきりとわからされた僕は、泣きながら謝罪をした。

 店長曰く勤務態度も真面目だったので、心配も兼ねて電話をしたとのことだった。
僕の送った「荷物」はもう届いていたらしい。

 店長は、シフトを自由に決めてしまっていた自分にも落ち度があるとして、僕がシフトを自分で決めるようにし、しわ寄せされたシフトは出勤しなくても構わないから、続けてみないか、と提案してきた。

僕は、ただただ頷くことしかできなかった。

 今思えば、あの店長は本当に優しくて、仕事が出来る人間だったな、と思う。
あの店長は、今年の四月に有能な社員を引き連れて、他のエリアへと飛び立ってしまった。


 僕が最近このバイトを辞めたのは、あの店長が居なくなってしまったからかもしれない。
新しい店長は、ピーク時は人に怒鳴り散らす癖に、シフトをギリギリまで削る人だった。

 それに比べてあの店長は、たとえ日曜のピーク時でも人に当たることは全くなかったし、忙しい曜日には、その分シフトを厚くしていた。

 あの店長には、まだ小さな子供がいた。
バックレた時の電話に、子供の泣き声が入っていた。

 僕は店長の優れた人格と能力は、子供が居ることによるものだと思い、真の「大人」になる為には、子育てを経験することが必須だと思い込んでいた。

新しい店長の口から、中学生の娘の話がされるその時までは。

2018年6月3日日曜日

消化不良

 小学三年生を殺害した犯人が、最近捕まったそうだ。事件から14年経過していて、容疑者は別の事件で服役中だそう。

 ニュースをなんとなく見ているだけでも、容疑者の無職率は高いと感じる。僕はこの無職が非行に走ってしまう原因が、「消化不良」にあると考えた。


 最近の僕は、まさに消化不良そのものである。
最近まで僕は飲食店のアルバイトをしていたのだが、そこそこ忙しい店舗だったこともあり、自然と陰キャの僕でも体力がついた。


 しかし、辞めてからはどうだろう。
そう、エネルギーがあり余って消化しきれないのである。
心に靄が張り付いているような、そんな感じだ。

運動がてらに自宅で出来る筋トレを始めてみたりもしたが、正直筋肉がついたところで、心に日が差すことはない。

ある意味、アルバイトがエネルギーを吐き出す場所になっていたことに、辞めてから気が付いた。
人間、失わないと気が付けないのは、本当に愚かだと思う。


 人間、誰しも少なからず向上心を持っている。
それは無職も例外ではない。

確かに、毎日充実した日々を送るニートや無職も存在するだろうが、一度くらいはこのままではいけないと、考えたことがあると思う。

 非行に走ってしまった彼らもそうだ。
起こしてしまった行為を擁護する気は全くないが、彼らのエネルギーの捌け口が見つからなかったことや、置かれた環境については、同情の余地があると思う。


 人生、どうにもならないことがいくつもある。
とある本によると、脳をつくるのはある程度まで遺伝によって決定されているらしい。

一般的知能の遺伝率は、記憶力の遺伝率のほぼ二倍、外向性や言語的推論能力といった特質は、一般的知能とほぼ同等の遺伝率となっているらしい。

環境の影響が全くない訳ではないが、少なくとも学習成績に関わる要素は、かなり遺伝的な影響があるらしい。


 そんなこんなで、僕もどうにかエネルギーをうまく放出できないものか、と考えていました。
やらかして、弟や祖父に迷惑は、かけたくないからね。

チャリ10分圏内で、時給1000円以上、土日手当100円以上のアルバイト求人、落ちてないかな~~~
僕の逃亡劇は、まだまだ続きます。おわり

2018年5月27日日曜日

囚われたがりの僕ら

 バイトを辞めてから、早一ヶ月が過ぎる。
辞めたのは正しい決断だったが、かといって今の生活が以前より充実している訳でもない。
そんな、憂鬱な日々を送る僕の話を聴いてくれ。


 これは僕だけかもしれないが、案外人は「囚われたがり」なことに気が付いた。

以前テレビ番組で、東進の林先生が
「子供がゲームを辞めたところで、勉強時間が増える訳ではない」

と、言っていた。まさに今の僕そのものだ。
バイトを辞めたからといって、無を貪る癖は全く治る気配がないし、多分一生完治することはないだろう。


 「囚われる」と、気持ちが楽になる。 
子育てをある程度済ませた専業主婦が、パートを始めるのと同じで、仕事の最中は余計なことを考える必要が一切ない。
それは僕も、同じだった。

店長に怒鳴られるのも、自分で自分を責めるのに比べたら、幾分か楽だったかもしれない。

ただの小遣い稼ぎ程度としか認識していなかったが、僕の心の支えになっていたのは、確かだった。


 今まで自分は社会不適合者だ、と思い込んでいたが、実はそうでもないのかもしれない。

かといって、「囚われる」ことに居心地の良さを感じる訳でもない。

漂流した僕らの終着点は、果たして何処に・・・


 死がゴールだと思わなくもないが、明日からプリキュアとプリチャンが観られなくなると思うと、やっぱり悲しいです・・・

2018年5月16日水曜日

打ち上げに参加したかったけど、参加しなかった男。

 先日、知人らとの打ち上げに参加することになった。
結果から言うと、行かなかった。
かといって、参加したくなかった訳ではない。正直、7割位の気持ちで行きたかった。
れでも僕は、反対方向の電車に乗っていた。


 打ち上げの前に、みんなで集まることになっていた。場所は、いつもの作業場所。
仕事があってないような僕は、憂鬱だった。ただ本を読んだり、書類整理をしているふりをしたり、何度も外に出たりするのを5時間も繰り返すのは、流石の僕でもキツイ。


 丁度その日はいい言い訳が思いついたので、作業終了時間の一時間前に顔を出し、その流れで打ち上げに参加し、タダ飯を食らおうとした。
我ながら、完璧な考えだと思った。


 しかし、人生そんなに一筋縄ではいかない。
終了時間の一時間前に顔を出すと、皆もう居なかった。
既に、打ち上げ会場へ移動していたのだ。

 ただ、ここまでは何も問題はない。
何故なら、その足で直接会場に向かえば、タダ飯にありつくことが出来たからだ。


それなのに僕は、そのまま帰宅するという意味不明な行動を取る。

 最寄り駅からチャリを漕ぎながら、僕は考えた。何故、また回避してしまったのか。
メンバーはむしろ良い位。こんなクソ陰キャの俺に対しても、彼らは何ら変わりなく優しく接してくれる。

しかしそれこそが、回避の原因だった。


 僕は自分が傷つくことでしか、自分の存在を確認することができないことに、気が付いてしまった。
優しくされた時に、どう反応すればいいのか未だによくわからない。
とりあえず「ありがとう」と感謝の気持ちを述べるのだが、それからどう話を広げればいいのかがわからない。

自分が相手の好意を踏みにじってしまっていないか、邪魔になっていないかと、自分を意味もなく傷つけてしまう。


 打ち上げだって、参加したかった。けれど、参加しないことで自分を痛めつけて、自らのアイデンティティーを保っていたのかもしれない。


 前のバイト先の飲食店では、本当に全てが最悪だった。
特に人間関係は最悪で、意識高い系のおばちゃんの暴走は、誰にも止めることが出来なかった。
その悪評はエリア内全てに広まっていたが、彼女の代わりに夜勤シフトを埋める者は、誰も居なかった。

が、仕事さえできれば上手くかわせることを知り、なんだかんだ約二年続いた。


 今思えば、あれも自傷行為の一種だったのかな、と感じる。
正直給料もそこまで良くなかったし、非効率なのはわかっていた。
ただ、たまたま所属していた店舗が売上トップだったからか、世間話をする余裕はあまり無かった。
おばちゃんさえ回避すれば、人間関係はとてつもなく楽だった。それだけが、僕を繋ぎとめていた蜘蛛の糸だった。
人間関係が薄いのは、本当に楽だったから。


 優しさを、素直に受け取る方法がよくわからない。
壊れてしまった僕の心では、感じ取ることが出来なくなっているのかもしれない。
それでも、プレゼント等の「」なら、素直に喜ぶことができる。ちょろい。


 僕の大好きな黒澤明の映画「乱」のワンシーンで、一族が滅びるのを見届けた側近が
泣くな、これが人の世だ。幸せよりも悲しみを、安らぎよりも苦しみを追い求めているのだ。
と嘆くシーンがある。
僕にしか当てはまらないと感じていたが、不倫やゴシップ等、しょーもない負のオーラが世間に求められている以上、人類共通なのかもしれない。

 この乾いた気持ちは、一生満たされることはないのかもしれない。ないものねだりって奴なのかな。


 弟がピアノ教室辞めたがってるんだけど、代わりに俺が通ってみようかな・・・

2018年5月6日日曜日

Amazonプライムビデオで今観ておくべき映画BEST10

・初めに
 Amazonプライム会員なら無料で見ることが出来る映画を紹介しますが、対象作品は一定期間ごとに入れ替わるので、それを込みで考慮したランキングとなっております。(2018年5月6日付)

10.グーニーズ
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 スピルバーグが制作総指揮を務める、80年映画。

 落ちこぼれ少年団「グーニーズ」が、主人公の父が抱える借金返済の為に宝探しをする。
 スピルバーグ映画の全般に言えることだが、全く飽きない。

冒頭の日常風景ではジョークを交えてさりげなくキャラ紹介、少年達の怖いものしらずな冒険、ラストのホッとするエンディング・・・
 
 悪く言えば当り障りのない映画だが、スピルバーグが調理すれば極上の味になるのだ。
 誰も不快な気持ちにさせない、素晴らしい映画。

 プライム対象から外れる可能性があるので、お早めにどうぞ。



9.ダークナイト
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 ノーラン監督の映画で私が一番好きな映画

 ダークナイトの面白い所は、主人公の「ブルース」が元カノをずっと引きずっている所。
 正義と戦うバットマンは、勘違いしたまま彼女と別れることになる。
 彼の私生活も「ダークナイト」のようだ。

 他にもジョーカーの演技や迫力のカーチェイス、復讐に燃えるデント等、ボリューム満点。

 人間は皮肉なものだな、と考えさせられる作品。続編のライジングも面白いです。


8.時計じかけのオレンジ
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 スタンリー・キューブリックの名作

 キューブリックワールド前回の本作だが、なんといっても主人公「アレックス」の対比がすばらしい。

 チンピラのリーダーで親が金持ち、車を乗り回して暴力をふるう悠々自適な生活を送るのアレックスだったが、事故で人を殺めてしまってから針は左回りに。

 前半は映像芸術が素晴らしく、アレックスが優雅に舞うが、後半で全て自分に跳ね返ってくるのが素晴らしい。

 全ての映画に当てはまることだが、主人公の作品を通しての対比が重要だと感じる。

 ある意味感動すら覚える映画だが、グロテスクな描写が多々あるため、視聴する時は注意。



7.オーシャンズ11
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 スティーブン・ソダーバーグのシリーズ第一作目

 この映画は、とにかくジョージ・クルーニーとブラピがかっこいい。
 11人で銀行強盗を華麗にこなし去っていく姿は、惚れ惚れする。

 特にグロテスクな描写等もなく、家族揃って安心して鑑賞できる映画。
 続編の12はクソですが、13はまぁまぁ面白いです。
 近日、女版オーシャンズ「オーシャンズ8」が公開するそうですが、正直期待はしていません・・・



6.アンタッチャブル
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 アメリカ捜査官の実録映画

 この映画は、とにかくドンパチが多い。 

 禁酒法の裏で闇取引を行うギャングのドン「アル・カポネ」に立ち向かう捜査チーム「アンタッチャブル」の奮闘を描いた本作だが、血を血で洗い合うため、画面から目が離せない。

 生命力が強すぎるショーン・コネリーやエレベーターで殺される眼鏡、ラストの階段での銃撃戦等、研ぎ澄まされた俳優の演技にも注目。

 事実は小説より奇なり、素晴らしい映画。



5.ターミナル
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 スピルバーグ監督の手掛ける人間ドラマ

 この映画では、行動することの大切さを学べる。

 主人公の「ビクター・ナボルスキー」は、アメリカの空港で足止めを食らってしまう。
 なんと祖国で飛行中にクーデーターが起こり、入国ビザが取り消されてしまう。
 アメリカへ行けず、祖国にも帰れなくなったビクターは、空港で生活をするようになる。

 彼は物語の終盤で、「人生は待つものだ」と言った。
しかし、彼はそれまで空港での努力を惜しまなかった。

 空港のカートを元の位置に戻して小銭を稼いだり、塗装の仕事を見つけたりと、彼はただただ時が経つのを待っていた訳ではない。

 私が一番好きなシーンを紹介する。
 彼が入国ビザの申請に行くシーンだ。
事実上国が消滅してしまったので、申請が通るはずがないのだが、彼は毎日窓口に通い続けた。

 受付が彼に何故通い続けるのか聞くと、

 「君の押すスタンプは2つ。一つは赤で、もう一つは緑だ。確率は50:50」
そのシーンのリンク
 と答えた。
 彼からは、行動することの大切さや諦めない心等、色々なことを学んだ。

  ラストでCAとくっつかなかったのがなんとも・・・
結構いいカンジだったんだけど



4.マンチェスター・バイ・ザ・シー

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 ヒューマンドラマの最高傑作

 この映画の素晴らしい所は、人間ドラマが実にリアルな所。

 主人公の兄が死亡し、息子を世話することになった「リー」
リーは暗い過去抱えていて、甥を過ごすことで過去に向き合っていく。

 美しいサプライズがある訳でもなく、終始暗い空気が立ち込める本作だが、このリアリティこそがヒューマンドラマの醍醐味だ。
 
 リーが小さく前進するエンディングの後には、素晴らしい余韻を味わうことが出来る。
 


3.グレムリン
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 スピルバーグ映画の中で一番好きな映画(監督ではなく、制作総指揮ですが)

 この映画は、映画における教科書のようなもので、どこを取っても素晴らしいの一言に尽きる。

 主人公「ビリー」のクリスマスプレゼントに、父が謎のペット「モグワイ」をプレゼントする。

 モグワイを飼う為のルールが3つあり、
①光に当ててはいけない
②水で濡らしてはいけない
③真夜中に食べ物を与えてはいけない
 これが1つずつ丁寧に破られていく。

 この映画で素晴らしい所は、「上げて落とす」こと。
悪魔と化したモグワイを残り一匹に追い詰めるが、上手く逃げられ大量に増えてしまう。

 お決まりの展開ではあるが、それを定着させたのは本作なのか、はたまたスピルバーグなのか。

 コメディとしても素晴らしいが、しっかりホラーとしても楽しめる。
 大量のモグワイが街を侵略するシーン等、映像技術も素晴らしい。

 スピルバーグ映画で一番好きな作品。チキンを拒否するギズモがかわいい。



2.ビーン
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Mr.ビーンの劇場版

 正直、観ておくべき映画ではないのかもしれない。
何故なら、私の一番好きな映画だからだ。

 ビーンというヤバイじじいが大暴走する。
絵画をめちゃくちゃにするシーンは何百回も観たし、笑いが堪えられない。

 とにかく笑える映画。おすすめ
テレビ版もAmazonプライムなら全話視聴出来るので、面白ければ是非

 ただし、次作の「カンヌで大迷惑」は微妙。


1.バック・トゥ・ザ・フューチャー1、2

リンク
制作総指揮:スピルバーグ

 何故BTTF1.2が一位なのか。それは、次の入れ替えで消えてしまう可能性が高いから。

 もちろん、内容も素晴らしい。
 主人公の「マーティ」がリビアの過激派に襲われてしまい、タイムマシーンに改造した「デロリアン」で過去に逃げる。

 私が一番好きなシーンは、ラストで未来にマーティが帰るシーン。
 タイムマシンを発明した「ドク」がただコードを繋ぐだけのシーンなのだが、数々の小さなハプニングが彼を襲う。

 ここまで飽きさせられない映画は他に観たことがない。
 次回作への繋ぎすら面白い、100点満点中120点の完璧な映画。



スピルバーグ大好きマンでした。おわり

2018年4月25日水曜日

実はYoutubeで映画レビューを始めていました。

https://www.youtube.com/channel/UCrCSP1WN_iFtOHlkIeOTIlA
再生数が少ないので、助けてください・・・^^;;

2018年4月19日木曜日

HUGっと!プリキュアの人間ドラマが素晴らしい理由

 最近女児向けのアニメ鑑賞に没頭している私だが、HUGっとプリキュアは近年稀に見る素晴らしいアニメだと思う。

 プリキュア自体ちゃんと見始めたのが前作のアラモードからなのだが、今作では繰り広げられる人間ドラマが実にリアリティがあり面白い。


 ここ数話でキュアエールこと主人公の「ほまれ」が、同じく二人のプリキュアに対して劣等感を抱き、ついにプリキュアに変身することができなくなってしまう。


 ほまれのようなポジティブキャラ(島村卯月等)は、大抵「笑顔なんて誰でもできる」と病んでしまう。
なぜなら、笑顔は「評価」することができないのだ。
笑顔には基準値がなく、大きいも小さいもない。

それが、同じプリキュアのキュアアンジュ、エトワールならどうだろう。
アンジュは幼い頃から子役として活躍、エトワールはフィギュアスケートの天才少女


 そう、それらは人から「評価」されているのである。
目に見える評価を受けるのに対して、ほまれらに評価を下すことはできない。そして劣等感を抱き、病んでしまう。

 作中ではほまれを励ますシーンがあるのだが、ほまれは一度落ち込んでしまう。周りがどう思おうが、本人からすれば目に見える「評価」に対して病んでしまっているから当然のことだ。


 これは現代社会においても当てはまる。
私自身もその内の一人だが、「中途半端」の殻から抜け出すことが出来ず、いくら人に優しくしたとしても、それは評価されることは滅多にない。

何故なら、評価することが難しいからだ。


 なら、ほまれや私のようなポジティブでマジメで良い奴が病んでいる時、どう自己肯定感を高めればいいのか。

それは、「無条件のリスペクト」をすることで解決する。

日本語でいう「尊重」「敬意」というところ。
~ができるから凄い、かわいい、等の「条件付きのリスペクト」は「評価」が基本となっている。

それに対し「無条件のリスペクト」では、「評価」を基本としない。
何故なら、どんな理由があれ、その人がこの世に生まれてきて、その人なりに生きてきた、という事実そのものを尊重するものだから。


 人はみな自分ではどうすることもできない「条件」に縛られているのだから、「評価」を基準にする必要はないのだ。

そうすることで、他人にもその人なりの苦労があり、必死に生きていると分かると同時に、自分もその内の一人であると実感することができる。

「私もよく頑張ってんじゃん」と、ここまで生き延びてきた自分を愛おしむことができるようになる。


 自分の周りに落ち込んでいるほまれがいる場合は、無理に励まそうとはせずに、まずは相手のプロセスを尊重しよう。

何故なら、何かを失った時、悲しんでいることには意味があり、その悲しみに浸ることが、心の態勢を立て直していくからだ。


よかれと思っては単なる決めつけでしかなく、そんな時は主語を私にして、「~だけど、~だと私は思うよ」
と、あくまで自分の意見として話すとよい。

相手が何かを話してくれるのであれば、思い込みや決めつけを手放して、ただその話を聴いてあげるとよい。
ただ傍で見守ってくれるだけで、充分心強いのだ。


 話が逸れてしまったが、プリキュアの人間ドラマは素晴らしい。

ごくありふれた普通の日常ドラマを描いているだけなのかもしれないが、だからこそ身近に感じることができる。
灯台元暗しとは言ったもので、今だからこそ目を向けるべき問題が、すぐ傍にあるのかもしれない・・・。

暇なら是非視聴することを薦めます。私は、キュアアンジュ推しです。



参考文献:自己肯定感持っていますか?あなたの世界をガラリと変える、たったひとつの方法
著者:水島 広子(精神科医)
私みたいなメンヘラにおすすめの一冊。ただの自己啓発本ではいのが素晴らしい。

2018年4月18日水曜日

ラジオの没投稿

 今日も疲れたわ~、新社会人マジパネぇ。てか先輩マジうぜえ。エロ動画観てシコって寝よ。
 
 ブリッッツ
やっべ、完全にやからしたわ。イヤホンのゴム飛んだ。ベットの上で。
マジふざけんなし、どこにもねえ。
ティッシュと埃しか出てこねえ。あとテンガエッグ。

 母ちゃんによく言われてたわ。テンガエッグ床に捨てるのやめろって。マジ後悔。母ちゃんゴメン。

 もう無理だわ。さっさとシコりてえから予備のゴム探すわ。
ってねえ!予備のゴム!同じ大きさのがねえ!

 これアレだべ。わざと予備の大きさ全部バラす企業戦略だべ。東京マジ怖え。

 しゃーないから乗り換えたるわ。ゴムと女は使い捨てるもんだって先輩言ってたべ。

 これじゃ耳にハマんねえよ、スッカスカ。締りがたんねえ・・・あぁ!?

 なんやこのフィット感!!これやコレ!!ワイが求めてたの!!
ワイの耳穴大きかったんやな。息子と一緒やわ。ずっと騙されとったわ!!

 なんや、これも研修の内かいな!!流石ワイが入社しただけあるわ!!先輩も意地悪やなぁ。
直接言ってくれればええのに。まぁええわ、とりあえずシコって寝るべ

 皆さん、なくしものには、なくなった意味があるのかもしれません。
そう、昨日あなたがなくした家の合鍵にも・・・

2018年4月12日木曜日

新田にくの憂鬱

「幸せよりも悲しみを、安らぎよりも苦しみを追い求めているのだ」

これは、映画「乱」での1シーンだ。

 本当にその通りだと思う。
しかし、僕が思う人々が悲しみを求める理由は、黒澤明とは異なっているかもしれない。

 僕はヒューマンドラマが好きだが、ネガティブな要素のものが多い。
それは自身の安全圏を確認する為でもあるのかもしれないが、僕はポジティブな気持ちになれるから好きなのだ。

 リストカットは生きていることを実感する為に行う行為という考えがあるが、僕は人間の本能なのだと思う。
破滅願望を抱くことは、ごく自然なことなのだ。

 とある学者によれば、人間は4:6で生まれてこない方が幸せらしい。
つまり、ただ冷静に自分に利がある方へ気持ちが傾いているだけなのだ。

 それでも、僕は生きる。
生まれてきた時点で不幸が始まっているのだから、今更後戻りすることはできないのだ。

 僕が好きなヒューマンドラマ映画ベスト3は、
「マンチェスター・バイ・ザ・シー」
「誰のせいでもない」
「ティエリー・トグルドーの憂鬱」

とても悲しく、憂鬱になるが、マイナスエネルギーは原動力になる。
冷静にもなれるし、全能感に浸ることだってできる。
たまには人間の本能に素直になるのも、悪くないかな。

2018年4月6日金曜日

孤独

 まもなく春休みが終わろうとしている今日この頃、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

 僕はずっと、小6の弟と遊んでいました。


 小学生の僕は、陽キャだった。
学校に行けば常に周りとはしゃいでいたし、不登校の生徒が理解できなかった。

 人間関係が楽で楽しそうという理由で男子校に進み、僕は陰キャと化した。
それでも、なんだかんだ友達は少なからずいた。


 今はガチ陰キャ。友人は二人居るが、むこうがどう思っているかはわからない。

 神様は意地悪だ。
あんなに孤独を望んだ筈なのに、今度は愛情を求めている。
愛情を得た所で、今度は自由を求めるようになるだろう。

 ないものねだり
わかってはいても、求めてしまう。
どれだけ自分を説得し、納得させても腹の虫が収まらない。


 今日は弟の春休み最終日。
映画観て、どっか行くんだ。
猫カフェでも、行こうかな・・・。

2018年4月4日水曜日

君はいつもそうさ

僕が近づけば、君は遠ざかる

僕が見ないふりをすれば、君はちょっかいを出してくる

距離感は掴めないけれど、僕は君のことをお見通しさ

それはつければ寒く、消すと暑い春の始まりのよう

SとNが交わらないように、どうすることもできない

それでも僕は満足さ

寂しがりやなのはお互い様だろう?

ただの臆病者かもしれないけれど

僕は願うだけで精一杯さ

自分勝手かもしれないけれど

許してほしい

それは冬の北風のよう

九月の君は、もういないのだから

2018年3月27日火曜日

プリパラの終焉

世代交代

それはテレビアニメに限らず、避けては通れぬ道。

 ・・・つらい。
桜前線はとっくに過ぎた筈なのに、僕の心は冬至のままだ。


 いやマジ無理無理!!!!言葉が出てこないわ、ほんと無理!!!!勘弁して、これ以上俺を虐げないで!!!マジで。マジで!!!


 今日、午後ローでナイトミュージアム2、観たんですよ。
で、エンディングでアース・ウィンド&ファイアーの「Let´Groove」流れるんですよ。マジ痺れる。
やっぱ最強のふたりでも流れたけど、アースはサイコーだよな~~~~~みんなも聴こうぜ!アース・ウィンド&ファイアー!Boogie Wonderland流してね。踊ろう!!

煙草なんか吸わなくても、アース聴いとけばハイになれっから!マジで!

Foooooooooooooooo!!!

2018年3月25日日曜日

転生したら津田美波の息子だった件

 「これゾン」の再放送のせいで三時半に床に着いた俺は、マスをかいてもかいても眠りに落ちることができないでいた。

 いくらCOMIC LOやコスプレエロ動画でかいても、「ゾーン」を過ぎれば熱さを忘れる。
催眠音声を視聴してみても、賢者の耳に念仏。ただのノイズにすぎない。


 このままではccさくらおろかプリキュアにすらありつけない。まずい、どうにかしなくては・・・

 ふとTwitterのいいね欄を眺めていると、そこには「ママ」
そう、津田美波の自撮り写真である。

 俺はためらった。
本当の親子ならば、母でマスをかくなどありえない。
しかし、早急に眠りにつかなければならない。ccさくら諸々もそうだが、日曜日はアルバイトが入っている。

時刻は五時を回ろうとしていた。

 
 いかん・・・それだけは・・・
悩んだ末、再びいいね欄を眺めることにした。


・・・ん?
脳裏に電流が走り、一人「マジカルバナナ」が始まった。
久保田未夢→そふぃ→プリパラ→鉄板同人→レオナがシオンを犯す本

くぅーーーーーー
脳内では博多華丸のカビラが唸る。

完璧に方程式を解いた俺は、本棚に走る。
待ってろさくら、今行くからな---------



 俺、転生したら津田美波の息子で、姉が久保田未夢なんだ----

2018年3月24日土曜日

蟻地獄

 池袋で「ちゃんとした」イタリアンを堪能した私は、本屋へ向かった。それは久々の御馳走にありつけて、ご機嫌な最中の出来事だった。

 正直特に欲しい本はなく、かといって手ぶらで帰るのも癪なので、小さいコーナーが作られていた中の一冊を手に取った。

タイトルは、『蟻地獄』

どうやら著者がインパルスの板倉さんのようで、新刊「月の炎」と「蟻地獄」文庫版の出版を記念して、コーナーが作られていたようだ。

 俗に言う「タレント本」のような紹介を受けていたが、時間がなかった私は、会計へと急いだ。

POPの「インパルス板倉推し」については、ふ~ん程度のものだった。


 私は本を読むスピードがとにかく遅い。いや、正確には飽きやすい。

どんな本でも読了するまでに最低一ヶ月はかかってしまう。しかし、この「蟻地獄」は、三日で読了した。


 まず第一に考えたのが、コント師なだけあって読者の心を「つかむ」のが上手いと思った。いわば導入部分だ。

伏線のカードは全て予想しやすく、かといって思いがけない絶妙なタイミングで顔を覗かせる。手が届きそうで届かない推理小説ほど、読者の心を掴むものはないだろう。


 第二に、全く飽きさせない。

物語の軸となるのが
「捕らわれた友人を助ける為、五日後までに三百万を手に入れる」
ことなのだが、何度も場面が変わっていく。

 迫るタイムリミットの中、無駄足を食うことさえもラストへ繋がっていたり、そもそも場面の一つ一つがわかりやすい。
頭の中で映像が自然と浮かび上がってくるそれはまさに、コント職人たる所以である。


 芥川賞を取ったピースの又吉さんしかり、芸人という職業は小説家に向いているかもしれない。何故なら、客の心をつかむ仕事だからだ。

 ミステリー初心者の私でも当てられるカードが数枚あり、かといって軸となる「オチ」のカードは最後まで伏せたまま。予想は見事に外れるが、最後の「締め」ではまた簡単なカードが開けられると共に、ふふっと笑みがこぼれた。

 こんなに短時間で読み切った長編小説は、初めてかもしれない。
目の前に人参を吊るされた馬のように、夢中で読み進めた。
吊るしたのはもちろん著者の板倉さんであり、気が付けば私はまんまと「蟻地獄」に落とされていた。

 新刊の「月の炎」は、睡眠や予定を削ってまで読書を優先してしまう恐れがある為、まとまった時間ができた時に手に取りたいと思う。文庫版が出る頃にしようかな。

 こんな偶然もあるんだな、と学んだ今日この頃でした。

アマゾンリンク(アフィはつけ方がわからない)



2018年3月12日月曜日

笑顔の意味

「お前たちは知っているのか?ナナリーの笑顔の意味を」
「ナナリーは目も見えず、歩くこともできなかった」
「ナナリーは・・・ナナリーの笑顔は・・・せめてもの感謝の気持ちなんだ!」


 飲食バイト戦士の俺だが、最近職場に障碍者雇用枠で雇われた人がやってきた。


 彼女は決まった単語しか話すことができず、会話も少しオウム返しになったりする。
机に置いてあったクリアファイルには、ドラえもんや忍者ハットリくんのシールが貼ってあり、脳が成長できていないのかもしれない。

 
 彼女の仕事は洗い場のみ。
シフトに関しては普段の+1なので問題ないのだが、はっきり言って邪魔である。


 彼女は非常に声が高く、声優の金田朋子のようなノイズ声。
それに加えて、彼女は声のボリュームのコントロールが苦手なのである。


 それでも、僕を含めた職場の性格が腐りに腐ったおばちゃん連中も彼女のことは嫌いにはなれないのだ。


 彼女は仕事が苦手で、当然周りが手助けをしなくてはいけない。

人間はなにかと理由をつけたがる生き物で、僕が彼女を助けるのはたとえ仕事上の理由であっても、脳が勝手に


彼女を助ける = 彼女のことが好きだから

と理解しているのだ。
それが例え男であっても、同じくlikeと考えるのに変わりはない筈だ。



そう、人はなにかを「する」時に好きになるのだ。
持ちつ持たれつの関係というものは理にかなっているし、乙武さんがモテモテなのも頷ける。


 そして彼女は、常に笑顔なのだ。

いつも口が半開きなのは、嚙み合わせが悪いせいかもしれないが、歯を出して笑っている。



 いや、ごめんやっぱ無理。マジで。

本人も障害を持って生まれてきたかった訳ではないだろうし、誰も悪くはないと思うよ。
企業も雇わないといけない理由があるし、店舗のシフトに入るのも仕方ないと思う。


でも金田朋子が六時間横に居るのは流石にキツくね?


2018年3月10日土曜日

神アイドルと化した俺 


 2018年3月9日 13時40分
俺は神アイドルになった。

夢に見ていた称号だが、喜びと共にとてつもない虚無感が襲い掛かる



 「双生の陰陽師」からirisを知り、前々からプリパラは気になってはいたのだが、踏ん切りがつかずにいた。


そんな中始まったのが、「アイドルタイムプリパラ」
北条そふぃ登場回で虜にされた僕は、気が付けば一ヶ月たらずで「プリパラ」全話を完走した。


dtvの無料期間中に終えなければいけなかった背景もあるのだが、それにしてもここまでアニメにのめり込んだのはギアス以来である。


 特に好きな話がガァルルがそふぃとの接触で言葉を話せるようになるエピソードだ。
他にもそふぃがソラミスマイルに加入する話やファルルを助ける話があるが、共通するのは優しさだ。

彼女らの無垢な優しさはとても美しく、そふぃらが人間として成長していく過程に僕は胸を打たれた。

2018年2月27日火曜日

懐かしき日々 戻れぬことを悲しく思う

 僕は暇つぶしに2ちゃん(5ch)を眺めるのがすきなのだが、定期的に立つスレがいくつかある。
よく映画についてのスレッドでは書き込んだりもするのだが、今日は昔のアニメはよかったスレを眺めていた。



 2ちゃんねるでは、ゴールデンタイムと深夜帯(大体2時~)
では同じスレでも内容が違うように感じる。


 例えばよく見る映画スレの場合、ゴールデンタイムでは邦画やマーベル等、比較的有名な映画について語られることが多い。
それは当然、時間帯の問題であろう。社会人はニートに比べて圧倒的に自由時間がないので、当たり前のことである。


しかし、深夜帯は違う。
映画は僕より詳しい人が何人も集まるし、名画座等マイナーな映画館の情報も知ることができる。


 深夜帯にはまだまだ魅力がある。
それは、皆優しくなることだ。

2018年1月29日月曜日

映画感想文#1 パーティーで女の子に話しかけるには

 映画感想文では、僕が観た映画の感想を書いていきます。

タイトルがダサいので近日中に変えるつもりです。要はただのオナニーブログ


 さて、映画感想文第一回目の映画は、

「パーティーで女の子に話しかけるには」

僕は恋愛映画が苦手だ。
だがどうしても映画の気分だったので、妥協して本作を鑑賞した。第一の感想は ええやん

俺(バイト戦士) VS 老害

 日曜日。
世間が教会へ拝みに行く中、俺は壊れたままの暖房に頭を抱える。
時刻は8時15分。カードキャプターさくらクリアカード編をバイト前に見るのが習慣なのだが、もうプリキュアの時間になっていた。

目にくまをつけた僕はさくらに会えずうなだれるが、ママプリがよさげだったのでよしとする。なんやねんメッチャいけてるって

 飲食業はあたりまえだが週末は忙しさが格別だ。
だから時給が上がる。それを目当てにシフトを入れているのだ。

単純に客の数が増えるので、面倒な客も増える。
面倒な客にもレベルがある。

レベル1 水のおかわり(テーブル)
レベル2 子供の取り皿等の食器
レベル3 注文ミス訂正(返金)

これらは客の当然の権利なので、店員からしても少し面倒くらいにしか思っていないし、よほどの理由がない限りは素直に受け入れる。

2018年1月19日金曜日

ポジティブ思考考察

「君って浮世離れしてるよね」「化けそう」


皆俺のことを勘違いしている。


 ただdisってるだけかもしれないが、一度や二度じゃなく割と普通に言われることがある


 確かに一見「浮世離れ」している人間に見えるかもしれない。
ただ、それは物珍しさなだけであって、俺は天から舞い降りたキリストではない。

 たまたま地上に這い上がってしまった土竜にすぎないのだ。