2018年4月25日水曜日

実はYoutubeで映画レビューを始めていました。

https://www.youtube.com/channel/UCrCSP1WN_iFtOHlkIeOTIlA
再生数が少ないので、助けてください・・・^^;;

2018年4月19日木曜日

HUGっと!プリキュアの人間ドラマが素晴らしい理由

 最近女児向けのアニメ鑑賞に没頭している私だが、HUGっとプリキュアは近年稀に見る素晴らしいアニメだと思う。

 プリキュア自体ちゃんと見始めたのが前作のアラモードからなのだが、今作では繰り広げられる人間ドラマが実にリアリティがあり面白い。


 ここ数話でキュアエールこと主人公の「ほまれ」が、同じく二人のプリキュアに対して劣等感を抱き、ついにプリキュアに変身することができなくなってしまう。


 ほまれのようなポジティブキャラ(島村卯月等)は、大抵「笑顔なんて誰でもできる」と病んでしまう。
なぜなら、笑顔は「評価」することができないのだ。
笑顔には基準値がなく、大きいも小さいもない。

それが、同じプリキュアのキュアアンジュ、エトワールならどうだろう。
アンジュは幼い頃から子役として活躍、エトワールはフィギュアスケートの天才少女


 そう、それらは人から「評価」されているのである。
目に見える評価を受けるのに対して、ほまれらに評価を下すことはできない。そして劣等感を抱き、病んでしまう。

 作中ではほまれを励ますシーンがあるのだが、ほまれは一度落ち込んでしまう。周りがどう思おうが、本人からすれば目に見える「評価」に対して病んでしまっているから当然のことだ。


 これは現代社会においても当てはまる。
私自身もその内の一人だが、「中途半端」の殻から抜け出すことが出来ず、いくら人に優しくしたとしても、それは評価されることは滅多にない。

何故なら、評価することが難しいからだ。


 なら、ほまれや私のようなポジティブでマジメで良い奴が病んでいる時、どう自己肯定感を高めればいいのか。

それは、「無条件のリスペクト」をすることで解決する。

日本語でいう「尊重」「敬意」というところ。
~ができるから凄い、かわいい、等の「条件付きのリスペクト」は「評価」が基本となっている。

それに対し「無条件のリスペクト」では、「評価」を基本としない。
何故なら、どんな理由があれ、その人がこの世に生まれてきて、その人なりに生きてきた、という事実そのものを尊重するものだから。


 人はみな自分ではどうすることもできない「条件」に縛られているのだから、「評価」を基準にする必要はないのだ。

そうすることで、他人にもその人なりの苦労があり、必死に生きていると分かると同時に、自分もその内の一人であると実感することができる。

「私もよく頑張ってんじゃん」と、ここまで生き延びてきた自分を愛おしむことができるようになる。


 自分の周りに落ち込んでいるほまれがいる場合は、無理に励まそうとはせずに、まずは相手のプロセスを尊重しよう。

何故なら、何かを失った時、悲しんでいることには意味があり、その悲しみに浸ることが、心の態勢を立て直していくからだ。


よかれと思っては単なる決めつけでしかなく、そんな時は主語を私にして、「~だけど、~だと私は思うよ」
と、あくまで自分の意見として話すとよい。

相手が何かを話してくれるのであれば、思い込みや決めつけを手放して、ただその話を聴いてあげるとよい。
ただ傍で見守ってくれるだけで、充分心強いのだ。


 話が逸れてしまったが、プリキュアの人間ドラマは素晴らしい。

ごくありふれた普通の日常ドラマを描いているだけなのかもしれないが、だからこそ身近に感じることができる。
灯台元暗しとは言ったもので、今だからこそ目を向けるべき問題が、すぐ傍にあるのかもしれない・・・。

暇なら是非視聴することを薦めます。私は、キュアアンジュ推しです。



参考文献:自己肯定感持っていますか?あなたの世界をガラリと変える、たったひとつの方法
著者:水島 広子(精神科医)
私みたいなメンヘラにおすすめの一冊。ただの自己啓発本ではいのが素晴らしい。

2018年4月18日水曜日

ラジオの没投稿

 今日も疲れたわ~、新社会人マジパネぇ。てか先輩マジうぜえ。エロ動画観てシコって寝よ。
 
 ブリッッツ
やっべ、完全にやからしたわ。イヤホンのゴム飛んだ。ベットの上で。
マジふざけんなし、どこにもねえ。
ティッシュと埃しか出てこねえ。あとテンガエッグ。

 母ちゃんによく言われてたわ。テンガエッグ床に捨てるのやめろって。マジ後悔。母ちゃんゴメン。

 もう無理だわ。さっさとシコりてえから予備のゴム探すわ。
ってねえ!予備のゴム!同じ大きさのがねえ!

 これアレだべ。わざと予備の大きさ全部バラす企業戦略だべ。東京マジ怖え。

 しゃーないから乗り換えたるわ。ゴムと女は使い捨てるもんだって先輩言ってたべ。

 これじゃ耳にハマんねえよ、スッカスカ。締りがたんねえ・・・あぁ!?

 なんやこのフィット感!!これやコレ!!ワイが求めてたの!!
ワイの耳穴大きかったんやな。息子と一緒やわ。ずっと騙されとったわ!!

 なんや、これも研修の内かいな!!流石ワイが入社しただけあるわ!!先輩も意地悪やなぁ。
直接言ってくれればええのに。まぁええわ、とりあえずシコって寝るべ

 皆さん、なくしものには、なくなった意味があるのかもしれません。
そう、昨日あなたがなくした家の合鍵にも・・・

2018年4月12日木曜日

新田にくの憂鬱

「幸せよりも悲しみを、安らぎよりも苦しみを追い求めているのだ」

これは、映画「乱」での1シーンだ。

 本当にその通りだと思う。
しかし、僕が思う人々が悲しみを求める理由は、黒澤明とは異なっているかもしれない。

 僕はヒューマンドラマが好きだが、ネガティブな要素のものが多い。
それは自身の安全圏を確認する為でもあるのかもしれないが、僕はポジティブな気持ちになれるから好きなのだ。

 リストカットは生きていることを実感する為に行う行為という考えがあるが、僕は人間の本能なのだと思う。
破滅願望を抱くことは、ごく自然なことなのだ。

 とある学者によれば、人間は4:6で生まれてこない方が幸せらしい。
つまり、ただ冷静に自分に利がある方へ気持ちが傾いているだけなのだ。

 それでも、僕は生きる。
生まれてきた時点で不幸が始まっているのだから、今更後戻りすることはできないのだ。

 僕が好きなヒューマンドラマ映画ベスト3は、
「マンチェスター・バイ・ザ・シー」
「誰のせいでもない」
「ティエリー・トグルドーの憂鬱」

とても悲しく、憂鬱になるが、マイナスエネルギーは原動力になる。
冷静にもなれるし、全能感に浸ることだってできる。
たまには人間の本能に素直になるのも、悪くないかな。

2018年4月6日金曜日

孤独

 まもなく春休みが終わろうとしている今日この頃、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

 僕はずっと、小6の弟と遊んでいました。


 小学生の僕は、陽キャだった。
学校に行けば常に周りとはしゃいでいたし、不登校の生徒が理解できなかった。

 人間関係が楽で楽しそうという理由で男子校に進み、僕は陰キャと化した。
それでも、なんだかんだ友達は少なからずいた。


 今はガチ陰キャ。友人は二人居るが、むこうがどう思っているかはわからない。

 神様は意地悪だ。
あんなに孤独を望んだ筈なのに、今度は愛情を求めている。
愛情を得た所で、今度は自由を求めるようになるだろう。

 ないものねだり
わかってはいても、求めてしまう。
どれだけ自分を説得し、納得させても腹の虫が収まらない。


 今日は弟の春休み最終日。
映画観て、どっか行くんだ。
猫カフェでも、行こうかな・・・。

2018年4月4日水曜日

君はいつもそうさ

僕が近づけば、君は遠ざかる

僕が見ないふりをすれば、君はちょっかいを出してくる

距離感は掴めないけれど、僕は君のことをお見通しさ

それはつければ寒く、消すと暑い春の始まりのよう

SとNが交わらないように、どうすることもできない

それでも僕は満足さ

寂しがりやなのはお互い様だろう?

ただの臆病者かもしれないけれど

僕は願うだけで精一杯さ

自分勝手かもしれないけれど

許してほしい

それは冬の北風のよう

九月の君は、もういないのだから