2018年6月26日火曜日

心が折れそうな時は、映画「きっと、うまくいく」を観ましょう。

 最近の僕の心は、曇り空だった。逃げ続けていたツケが、ついに回ってきてしまったのだ。

 すしざんまいでまぐろざんまいを食べながらも、僕は涙が止まらなかった。トイレの個室に退散するや否や、理性のタガが外れ、号泣してしまった。
惨めな僕を、少しでも慰めようと気を使い、すしざんまいへ連れて行ってくれた母。。。やるせない気持ちは全て自分のせいなので、本当に消えてしまおうかと考えていた。

 そんな僕が、電子ドラッグにすがる思いで視聴したのが映画「きっと、うまくいく」
いかにもカルトチックなタイトルなので、前々から気になりつつも避けていたが、実際は素晴らしい内容でした。映画で泣いたことの無かった僕が、5、6回は号泣する程に。
そもそも、原題が「3idiots」(3バカ)なので、視聴する前からタイトル切りしてしまった人は多いだろう。翻訳に疑問を抱いた。

 本作のキーワード「All izz well」は、邦題だと「うまくいく」と訳されているが、これだと未来を信じろといったニュアンスになってしまう。
本来のメッセージとしては、どちらかと言うと現状肯定のニュアンスが強く、現状の自分を納得させる為に使われている。
この訳に違和感を感じたのは私だけではないようで、少し調べてみると、「これでいいのだ」が一番しっくりきた。アナ雪の「ありのままの〜」も近いかもしれない。

  正直、本当に面白い映画なので、内容になるべく差し支えのないように紹介しようと思う。0から見た方が面白いからね。
この映画の1番の魅力は、「生きているだけで100点」だと実感出来る所。本作はインド映画ということもあってか、メッセージ性に強い説得力がある。

 主人公のランチョーら3バカは、ICEことインドNo1の工科大学生。毎年40万人から選び抜かれた200人が通り抜ける狭き門であるが故に、入学してからも試験に追われ続ける学生達。酒や祈りに浸る中、ランチョーは胸に手を当て「All izz well」と唱える。
彼曰く、人の心はとても臆病だ。だから、麻痺させているとのこと。
ルームメイトは馬鹿にし、「それで困難が解決するのか?」と問うも、ランチョーは
「困難を無視出来る」「将来は、誰にもわからない」とのこと。

 本作のメッセージには、妙な説得力がある。流石仏教の聖地インド。他にもインドの教育システムであったり、学生の自殺にも切り込んでいて、見所は数え切れない。

 僕が一番心を動かされたのが、ランチョーの圧力で自殺するのは殺人だ、という考え。
僕は、生きているだけで100点で、それからの加点方式という考えで生きてきたが、現実はそう優しいものではない。そんな中、ランチョーだけが僕の心の友として、寄り添ってくれる。
映画がここまで人の心を動かすことが出来るのか、と映画の可能性を感じた。間違いなく生涯の10本に入るし、一生の友が現れた。

 インド映画には必須のダンスシーンも、絶妙なタイミングで踊りだし、歌も踊りも素晴らしい。
時系列が前後するタイプの映画なのだが、差し替え方が上手すぎる。脚本が練られていて本当に素晴らしい。

 人間、誰しも生きていると必ず壁に当たるだろう。そんな時は、「きっと、うまくいく」を視聴してみて欲しい。ランチョーと共に、All izz wellと唱えれば、今を生きることが出来るし、明日を生きることだって出来る。
自殺対策にもってこいの映画だと思う。本当に素晴らしい映画なので、是非落ち込んだ時には視聴してみて欲しい。今なら、Amazonプライムで無料で視聴できます。

2018年6月9日土曜日

心の靄

いつからだろう 心に靄が張り詰めたのは

目を閉じれば、雨音すら聞こえてくる

明けない夜はないが、晴れない靄はない

横になれば、僕を取り巻くピアノの音色

丑三つ時になると鳴り響く、僕のアラーム

僕を取り巻くその音色は、確かに共鳴している

取り憑かれた僕は、ただ嗜むばかりで


それは引き寄せられた磁石のよう

エクソシストでもない限り、切り離せないだろう

今も変わらず鳴り響くその音色は

僕が奏でているだけかもしれない

鳥のさえずりと共に、眠りにつく

鳩と迎える朝は、心地が良い

君の横顔が見れないのは、残念だけどね

2018年6月5日火曜日

俺がバイトをバックレて、制服を送り返した時の話

 漫画版「君たちはどう生きるか」の中で、

「そういう苦しみの中でも、一番深く僕たちの心に突き入り、僕たちの目から一番つらい涙をしぼり出すものはーーー自分が取り返しのつかない過ちを犯してしまったという意識だ。」
「自分の行動を振りかえってみて、損得からではなく、道義の心から、「しまった」と考えるほどつらいことは、おそらくほかにはないだろうと思う。」

という一文があり、ふと俺がバイトをバックレた時のことを思い出した。

あれは夏が終わり、木々が紅葉し始めた頃だったーーー


 その日はシフトが入っていた。
まだ入ってから数か月の新人の僕は、店長に自分のシフトを任せていた。
なので、シフトが入る曜日がばらばらだったし、出勤する店舗もその日のシフトごとに異なっていた。

シフトが発表された次の出勤日には、いつもより早く家を出て、スケジュールを確認する必要があった。

そしてその日こそ、スケジュールを確認しなければいけない、面倒な日だった。


 バイト漬けの夏休みを満喫した僕は、店長にシフトを空けたい期間を伝えていた。遅れた休暇を取るために。

そして、その時はやって来る。

 スケジュールを確認すると、なんと空けた期間の分のシフトが前倒しされていた。しわ寄せされていたのだ。


 後々から考えれば、特におかしいことではなかった。
丸々休めると僕が考えていたのは、ただの勘違いだっただけかもしれないし、店長に自分のシフトを任せっきりにしていた僕にも落ち度はある。

それでも当時の僕はパニックになってしまい、少しの間封印してきた「バックレ」癖が、再び目を覚ました。


 その日は、応援勤務が入っていた。
時間にはまだ余裕があり、今から駅へ向かえばまだ間に合う時刻だ。しかし、自転車に乗った僕は、帰路についていた。

 家に帰った僕はまず、後悔をした。
遅刻が確定した訳でもないのに、出勤しなかったことを。
それでもシフトをしわ寄せされたショックは、僕の中でバックレる理由には、充分すぎるものだった。


 次に僕は、もうこのバイトを辞めてしまおうと考えた。
応援先に迷惑をかけ、連絡される店長にも迷惑をかけた後、平然とシフトに出られる勇気はなかった。

 謝ったとしても、その日以降のシフトには当然出勤しなければいけないし、そもそも当時の僕には「謝る」という選択肢がなかった。
何故なら、僕は店長に勝手に裏切られた気持ちになっていて、腸が煮えくり返っていたからだ。

 僕は部屋の隅に積まれたAmazonのダンボールを一つ手に取り、制服に手紙を添えて、自分の店舗へ送り付けた。流石に、着払いにはしなかった。

 
 制服を送り付けたからといって、気分が晴れる訳でもない。ずっと自分の部屋に閉じこもり、携帯の電源も切っていると、母に呼び出された。
どうやら自宅に電話がかかって来たらしく、母が受話器を取ってしまったようだ。
 

 渋々店長からの電話を受け取った僕は、号泣した。
昔から、怒られたり叱られたりすると泣いてしまうタイプだった僕だが、その時は店長が話し出す前に泣いてしまった。

自分のしでかしてしまったことをはっきりとわからされた僕は、泣きながら謝罪をした。

 店長曰く勤務態度も真面目だったので、心配も兼ねて電話をしたとのことだった。
僕の送った「荷物」はもう届いていたらしい。

 店長は、シフトを自由に決めてしまっていた自分にも落ち度があるとして、僕がシフトを自分で決めるようにし、しわ寄せされたシフトは出勤しなくても構わないから、続けてみないか、と提案してきた。

僕は、ただただ頷くことしかできなかった。

 今思えば、あの店長は本当に優しくて、仕事が出来る人間だったな、と思う。
あの店長は、今年の四月に有能な社員を引き連れて、他のエリアへと飛び立ってしまった。


 僕が最近このバイトを辞めたのは、あの店長が居なくなってしまったからかもしれない。
新しい店長は、ピーク時は人に怒鳴り散らす癖に、シフトをギリギリまで削る人だった。

 それに比べてあの店長は、たとえ日曜のピーク時でも人に当たることは全くなかったし、忙しい曜日には、その分シフトを厚くしていた。

 あの店長には、まだ小さな子供がいた。
バックレた時の電話に、子供の泣き声が入っていた。

 僕は店長の優れた人格と能力は、子供が居ることによるものだと思い、真の「大人」になる為には、子育てを経験することが必須だと思い込んでいた。

新しい店長の口から、中学生の娘の話がされるその時までは。

2018年6月3日日曜日

消化不良

 小学三年生を殺害した犯人が、最近捕まったそうだ。事件から14年経過していて、容疑者は別の事件で服役中だそう。

 ニュースをなんとなく見ているだけでも、容疑者の無職率は高いと感じる。僕はこの無職が非行に走ってしまう原因が、「消化不良」にあると考えた。


 最近の僕は、まさに消化不良そのものである。
最近まで僕は飲食店のアルバイトをしていたのだが、そこそこ忙しい店舗だったこともあり、自然と陰キャの僕でも体力がついた。


 しかし、辞めてからはどうだろう。
そう、エネルギーがあり余って消化しきれないのである。
心に靄が張り付いているような、そんな感じだ。

運動がてらに自宅で出来る筋トレを始めてみたりもしたが、正直筋肉がついたところで、心に日が差すことはない。

ある意味、アルバイトがエネルギーを吐き出す場所になっていたことに、辞めてから気が付いた。
人間、失わないと気が付けないのは、本当に愚かだと思う。


 人間、誰しも少なからず向上心を持っている。
それは無職も例外ではない。

確かに、毎日充実した日々を送るニートや無職も存在するだろうが、一度くらいはこのままではいけないと、考えたことがあると思う。

 非行に走ってしまった彼らもそうだ。
起こしてしまった行為を擁護する気は全くないが、彼らのエネルギーの捌け口が見つからなかったことや、置かれた環境については、同情の余地があると思う。


 人生、どうにもならないことがいくつもある。
とある本によると、脳をつくるのはある程度まで遺伝によって決定されているらしい。

一般的知能の遺伝率は、記憶力の遺伝率のほぼ二倍、外向性や言語的推論能力といった特質は、一般的知能とほぼ同等の遺伝率となっているらしい。

環境の影響が全くない訳ではないが、少なくとも学習成績に関わる要素は、かなり遺伝的な影響があるらしい。


 そんなこんなで、僕もどうにかエネルギーをうまく放出できないものか、と考えていました。
やらかして、弟や祖父に迷惑は、かけたくないからね。

チャリ10分圏内で、時給1000円以上、土日手当100円以上のアルバイト求人、落ちてないかな~~~
僕の逃亡劇は、まだまだ続きます。おわり