2017年12月11日月曜日

遠く遠く

 心が折れそうな時、過剰なストレスから逃げ出したくなる時、孤独に押し潰されそうな時にこの曲を聴く。
https://youtu.be/8zjaOYpY9BE
 ※俺は津田美波のカバーを聴いている



 俺は人付き合いから逃げた。理由は単純、面倒だから。


俺は孤独になり、気にかけるのは自分だけになった。それが求めていたものだし、生きるのが楽になった。


 俺はずっと分からなかった。人が人付き合いをする理由を。
それらを「陽キャ」とするならば、俺は「陰陰キャ」だ。


 最近になって、やっと意味を少しだけ理解できるようになった気がする。



 カイジの8巻、鉄骨渡りの終盤でわかりやすい表現がある。


「通信」
人は人の気持ちを理解することは出来ず、真の理解を望めばそれこそ泥沼

しかし、理解とは程遠いが存在は確かに伝わる

というもの。
極限状態に置かれたカイジだからこそ、ただそこにあるだけの「存在」に温かみを感じたのかもしれないが、僕らの日常生活においても言えることなのでは と思う。

2017年11月19日日曜日

便

快便なくして一日を得ず

日が昇ると共に便を吐き、月が昇ると共に便を吐く


 久々の快便だ。
俺はここ三か月下痢続き
体調は最悪、クソそのものの三か月

 今日も便を吐くが、驚いた。下痢でない、まとまった通称バナナ型の便ではないか。

 カップ麺生活にサヨナラ、サンキュー松屋
インスタントが体に悪いのが改めて確認できた

 俺には夢がある。ホテル生活、出前生活をすることだ
これなら下痢になることもないだろう?

 今日からティッシュを噛んで空腹を紛らわすのと、ガムを飲み込むのをやめよう。
下痢とおさらばするのだ。


 今日は下痢とお別れした日
便を吐くと共に床に着き、快便を待つのだ・・・




2017年9月1日金曜日

オカルト

 あなたはオカルトを信じますか?


 オカルトもたくさんあるだろう。
神、幽霊、気、波紋・・・


 俺は信じるオカルトとそうでないオカルトがある。

 信じていないオカルトは例えば麻雀の等の「流れ」
「流れ」は単純に確立の試行においての偏りでしかないと思っている。

 あとは麻雀で役を「好きな役だから」「よくあがれるから」
という理由だけで役を期待値が下がる崩し方をするなど。
 
 これは靴ひもを右から結ぶだとか、家から出るときは必ず右足から出るといいだとかと同じたぐいだと思っていて、
「たまたま」
良いことが重なった時に思い込んでしまうだけの意味がないものだと思っている。



 俺が逆に信じるオカルトは人の「縁」に関するもの

例えば、人に親切にしたら自分もいつか親切にされる・・・みたいな。

 上手く説明することは難しいが、数字で表すことのできないオカルトは否定できないから信じる信じないは別として間違ってはいないのかなと思う。


 だから俺はできるだけ人には優しくしたいと思っている。
それは俺が人に優しくされたいから。

 でもこう思っている内は本当に人に優しい人間にはなれないとも思うし、かといって優しくされる為の方法が他に思いつかない。


 自分の為の優しさなら偽善と言われても仕方ないかもしれない。
 俺は小さい頃偽善者にはなりたくないな、と思っていたんだけど・・・

 本当の「優しさ」ってなんだと思いますか?


 最近女児向けアニメにハマり始めたのは、大人になることへの否定、あの頃のピュアな子供心を求めているのかなと思った今日この頃・・・


















2017年7月8日土曜日

好きなもの

 好きなものはある?
なんでもいい本当に何でもいい。

 最近好きなバンドが出来た。「He」
https://youtu.be/CMnetF_GhWQ

 初めはどの曲も同じように聴こえて、飽きるなぁと思った。
だがその物足りなさが俺の耳を乾かし、潤いを求め聴きつづける内にHeの虜になっていた。

 きっかけは赤の他人がHeが好きって言ってたから。
ただそれだけで、知らない言葉をggっただけだった。

 人は他人の好き嫌いに影響されるんだなぁと。フィルターがかかってしまう。

 だから嫌いから好きになったりもするんだろう。
他人の評価でなんとなく悪いイメージがあっても、実際知ってみれば好きになったりもする。

 軽い気持ちで勧めたら自分より好きになったりしたことはないだろうか。

 第一印象やフィルターの影響は大きいが、自分のピュアな根底にある気持ちを大切にしていきたいな、と思う。


 俺は自分に自信がない。
かといってマイナス思考が無駄なことは知っている。
 
 だから俺は自信を持つ代わりに、自分を肯定してあげることにした。

 いいんだよ、それもいいんだよ、と。
少しずつ、少しずつリハビリしていけばいいのだ。

 千里の道も一歩から、石のように固いそんな意思で・・・

2017年5月28日日曜日

等価交換

人は何かの犠牲なしに何も得ることは出来ない。

何かを得るためには、同等の代価が必要となる

それが、錬金術における等価交換の原則だ。

その頃僕らは、それが世界の真実だと信じていたーーーーーー


そう、等価交換は裏を返せば犠牲を払えば何かを得ることができるということだ。


何にでも犠牲はつきものだ。夢や時間、金、魂ーーーーー

何かを極めると、その分何かを犠牲にすることになる。


何もないということは、犠牲を払うことが怖いのかもしれない。ただ自分が臆病なだけなのか、それとも無知、ただ未熟なだけなのか、それともーーーーーーー




ソクラテスは問う。
「汝自身を知れ」
と。


俺は・・・俺は・・・

2017年5月26日金曜日

お前はなにがしたいんだ?

そう自分に問いかける今日このごろ




いや、随分と前から定期的に自分に呼びかけている。

「お前はなにがしたいんだ?」と。


趣味がない訳ではない。映画にアニメ、PCゲームにニコ生、深夜バラエティにF1・・・



が、全て結果は中途半端。そこそこレベル止まり・・・・・。




かの棋士 羽生善治の言葉がある。



何かに挑戦したら
確実に報われるのであれば、
誰でも必ず挑戦するだろう。
報われないかもしれないところで、
同じ情熱、気力、モチベーションをもって
継続しているのは非常に大変なことであり、
私は、それこそが


才能だと思っている。

・・・中途半端なことを気にしているのは自分だけかもしれない